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| 大正10年ごろの初代木曽川橋。長大な木橋で、明治43年に竣工した |
岐阜と名古屋を結ぶ県道14号線は、別名「岐阜街道」とも呼ばれる。江戸時代からの重要な道で、明治期になっても幹線道路として大きな役割を果たしてきた。明治18(1885)年には国道に指定されている。
しかし岐阜県笠松町と一宮市北方町の間を流れる木曽川については、明治に入っても江戸時代同様、渡船に頼るしかなかった。ここに橋が架けられたのは、明治の後期になってからである。
架橋を要望する声の高まりを受け、建設が決定し、明治43年に初代の木曽川橋が完成した。橋は木製で、幅約5.5メートル、長さ約460メートルという当時としては長大なものであった。
橋はその後、橋脚にコンクリートが補強されるなどの手直しはされたものの次第に老朽化。そのため昭和10(1935)年には、木橋の下流に新たな橋の建設が決まった。
こうして昭和12年、現在も残る鋼鉄製の木曽川橋が完成した。橋は幅約11メートル、長さ約462メートルで、当時各地で造られたタイドアーチ橋であった。昭和39年には上流側に歩行者のための歩道橋も設置されている。
その後、この橋を通る岐阜街道は昭和37年には国道22号線となったが、昭和44年の名岐バイパス(現在の国道22号線)開通により、現在の県道へと変更されたのである。
ところで、この岐阜街道は、かつて「鮎鮓街道」とも呼ばれていた。この呼び名は、江戸時代に尾張藩が長良川の鵜飼いで捕れた鮎を「鮎鮓」にして江戸まで運び、将軍家に献上していたことに由来する。この鮎鮓を運ぶ道として使われたのが岐阜街道だったため、鮎鮓街道と呼ばれるようになったのである。
始まりは慶長8(1603)年、徳川家康、秀忠への献上から。以来、毎年5月から8月までの間、毎月1回(後年には月6回)江戸城に届けられたという。
鮎鮓は岐阜町のお鮓元から加納問屋を経て、笠松問屋で受け継ぎ、一宮問屋場へ、そして江戸へと送られた。1回に4つの桶(1つの桶に鮎の大10尾、小20尾)を一つの荷にまとめ、3〜5つの荷にして運んだという。
岐阜からスタートし46の宿場をへて江戸までに5日ほどで運んだというが、夏の暑い時期での作業は大変だったと思われる。笠松の問屋跡に立つ石碑には「鮎鮓の桶かつぎ受けわたし人びとは江戸への道をひたに走りき」ときざまれており、その苦労を今に伝えている。