月刊い〜ち(each)は愛知県一宮市全域(一部を除く)と稲沢市の一部の中日新聞に折り込まれる地域密着タブロイド型新聞。
月刊い〜ち
い〜ちいまむかし人を訪ねる味のある店プレゼントトップページへ
い〜ちいまむかしロゴ2008年9月号・76号 - い〜ちいまむかし

「超空の要塞」B29爆撃機、二回にわたり一宮を空襲
「空爆殉難記念碑」

空襲犠牲者、追悼のため建立

一宮市桜の大乗公園にある「空爆殉難記念碑」
  一宮市桜の大乗公園にある「空爆殉難記念碑」

 一宮市桜にある大乗公園の一画に「空爆殉難記念碑」というモニュメントが立っている。先の戦争での空襲による犠牲者を追悼する目的で、遺族らが昭和33(1958)年に建立したものだ。この場所に建てられたのは、ここがもっとも犠牲者が多かったためだという。
 以前も本欄で触れたが、先の戦争でのアメリカ軍の空襲は昭和19年末から始まり、連日、B29爆撃機の大群がこの地方を襲い、多くの犠牲者を出した。
 一宮に対する空襲は、昭和20年の7月、二度にわたって行われた。一回目は7月13日の夜、市街地に大量の焼い弾が投下された。本格的な空襲は2回目で28日の夜。約260機のB29爆撃機が市の中心部を波状攻撃した。
 この空襲によって市街地の大半は焼失。一万戸以上が被災した。さらに真清田神社をはじめ、市内の主な施設も破壊され焼失した。空襲による死者は727人、負傷者は4,187人にのぼった。

『体験記』がつづる空襲の記録

 一宮市が編さんした『空襲・戦災の体験記』(昭和47年刊)には、当時の模様が次のように書かれている(要約)。
 「B29の爆音と共に、空に花火のような赤い炎が点々と落ち始めました。間もなくあちこちで火の手が上がり、見る見るうちに周りは炎に包まれました。逃げる人が街のあちこちで父母を呼び、わが子を呼んでいます。全市は大火災となり、地獄の様相を呈して一夜のうちに焼け野原と化しました」
 「炎ともうもうたる白煙の中、逃げまどっていると、道に黒いものが三つ、四つと横たわっていました。黒光りした人間の焼死体でした。反対方向から来た人に聞くと、一丁目の方を指して『向こうには、もっとたくさんの人が真っ黒になって死んでいる』と言いました。現在の大乗公園のあたりで、そこには丸裸で正視できないほど無残な数十体もの焼死体がありました」

空爆を実行した「超空の要塞」

 この空襲を行ったのが「超空の要塞」と呼ばれたアメリカ軍のB29。開発に当時のお金で約30億ドルを投入したという、大型戦略爆撃機である。
 B29は「三千キロ以上の行動半径」を持ち、「高度一万メートル以上での飛行が可能」なほか、「酸素マスクのいらない与圧装置」「小型の高性能照準器」「専門の航空機関士の搭乗」など、当時の最先端技術を結集したものであった。
 この「超空の要塞」が、高射砲の弾も届かない、戦闘機もなかなか到達できない超高空から、爆弾や焼い弾の雨を日本各地に降らせたのである。先の戦争での日本人犠牲者は約310万人。そのうち50万人(広島・長崎の原爆犠牲者含む)は空襲の犠牲者だという、その空爆の大半を担ったのがB29であった。

い〜ちいまむかし バックナンバー一覧
い〜ちいまむかし人を訪ねる味のある店プレゼントトップページへ
© 2006 月刊い〜ち編集室 All rights reserved.